妙に馬が合う

(備忘録)

妙に馬が合う、とはこのことだったのだろうと思う。

どことなく死んだ祖母に似ていた。
口調だったり、生き方だったり、顔もちょっと。
(しかも祖母と同い年)

祖母が先に亡くなったが、この方のおかげで、いくらか寂しさがやわらいでいたものだ。

超高齢の割に丈夫な方だったから、医者として何か大きな仕事をしたというわけでもなく、特段、感謝される筋合いもなかった。
その割に、私のことは随分と心配してくれて、仙北町のことや、診療所の行く末などもいつも話題にしてくれた。

ある時、味噌の話題となり、手前味噌(自家製)を持参してごちそうした。すると、お返ししてもらった。

登山の話をしたとき、お盆後はやめておけと諭された。雷が増えるからな、と。でも、指摘を無視して登って自慢した。

昔住んでいたという区界に言って肉を食いたいというから、もう寝たきりだったが、仲間にお願いして連れて行ってもらった。しかし、その店に肉はなく結局蕎麦だったと。いつもボヤいていた。

医師としてはたいして思い出はないが、一人の人間としては思い出深い方だった。

素晴らしい縁の数々に恵まれた私だが、こんな人はそうは見当たらない。

寂しくなるな。

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病院ではなく間違いなく自宅だ。

自宅でお看取りすることが、いつしか私の執念と化していた方を本日お見送りしました。

私は、元来、最期の場所にこだわりはありません。
毎年30名前後の方をお家や施設から見送りますが、その方が望むのであれば病院でも良いと思っています。

しかし、今回だけは願いというか、希望というか。
いつしかそれが執念のようになっていたと、今振り返ると思うのです。

病院時代は、病院の前に関わることが少なく、仮に関わったとしても、診察室内など極めて限定的なことしか知りえませんでした。
一方で、在宅をやっておりますと、入院中には見えなかったこと、診察室では見えなかったことを様々垣間見ることができます。

今日、お別れした方も、そうでした。

どうみても重症な認知症。
日常生活にあらゆる必要だと、診察室では盲信していました。

訪問診療が始まり、日々を重ねる中で、それは明らかに失礼な解釈であったことに気づきます。

一人で買い物に行ったり、お迎え・お見送りもご丁寧。
晩年、いよいよ会話が成立しなくなっても、「医者ですよ」と声をおかけすると、それまでの険しいお顔が一瞬だけ笑顔にかわり握手を交わしてくださる。

どうみても重症な認知症には見えるけれども、よくよく関わっていくと違うのだと。これは、診察室だったり、ほんの一瞬の交流だったりでは絶対に気づき得ないことだと思いました。

どうみても重症だから、入院すれば間違いなく身体拘束されただろうし、そんなことを思うと、この方がこの方らしく過ごせるのは自宅しかないとおもったわけです。

そして今日の日を迎えました。
私にしては本当に珍しく、自分の意見を粛々と通したように思えてなりません。

これをエゴと呼ぶのか、思いやりと呼ぶのか。それとも。。。

私が成し遂げようとしていたこと、成し遂げたことが最善であったと信じたいです。

しかし、分かりません。終わりなき旅です。

 

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初めての歓迎、初めてのエンゼルケア。

かれこれ半年間、ほぼ毎週通いながらも、はじめて、歓迎されたような気がする。
 
ようこそとおのへ。
 
ここに来るときは、いつも夜だったから、暗闇ではこの文字を見ることはなかった。しかし、歓迎されたのも束の間、今日が一旦最後の訪問となる。
 
ルールを超えて、100キロの道のりを超えて、求めに応じ、毎週通った。今日はいかがかな、と道中あれこれと思案を巡らせているうちに到着。末期がんの割に、案外元気だったなー、と喜び戻ったものだ。
さすがに、ここ数回は弱りが著しく、次はもう会えないかもと覚悟を決めて往復した。
 
最期の日、総括、総括と薄れゆく意識の中で何度も語ったと。
 
穏やかな表情での臨終確認。
僕は、誤解を恐れず、何度も、良かったと繰り返した。
難しい癌だったけど、大きな落とし穴に落ちることもなく、無事に、無事にこの日を迎えられたから。
 
「あまり多くを語らなかったお父さんだったけど、なないろに行くことだけは珍しく自分で決めたんだ」とご家族におっしゃっていただいた。光栄じゃないですか。
 
人生の最後の主治医であること。
臨終宣告を託される医師であること。
これほど名誉な役回りもない。
選んでくださり、ありがとうございました。
 
帰路にて、やはり、「ようこそ」と歓迎された。
また来ますね。
 
 
余談ですが、今日は、生まれて初めてエンゼルケアをやった。
看護師がどうしても同行できないということで。
これも良かった。
そんなこんなで絶対に忘れません。
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答えないという応え

「どんな人生でしたか」と最期を迎えんとする方に、お尋ねすることにしている。

 

今夜もそう。

 

意識が薄れていく最中、まだそちらにいかせまいと、二度、いや三度ほど伺った。

 

答えてくださらなかった。

意識がないとか、答えられないとか、そういうことではなくて、きっと「答えないという応え」だったのだろうと思う。

 

 

その人にはその人にしか分からない世界がある。

だから、他人の私がしっかりと理解することなんて不可能だ。

不可能だけど、少しでも、ほんの僅かでも近づきたい。

 

 

だからこそ、答えないという応え、を噛み締めたい。

 

私を選んでくださり、ありがとうございました。

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見事な着陸。

(備忘録)

とてもこだわっていることがある。
それは、死亡診断書に記載する死因に何を書くか。

この死因は、もちろん科学的妥当性がもとめられる。嘘がダメなのはもちろんのこと、恣意的でも意図的でもいけない。

とはいえ、死因を何にするかは、医師である私にとっても、また残された家族にとっても、思いの外重要だと思う。

だからこそ、僕は、何を死因にするか、ものすごく悩むし、ものすごく大切にしている。
的はずれな例えかもしれないけれど、我が子への名付けと同じくらい大切なものかなと。(僕は我が子への一番のプレゼントは「名前」だったと思っている)

さて、今日も死亡診断書を書いた。
その死因に記した病名は、医師になって始めてのもの。

いわゆる神経難病で、過去数年に渡って、この難病とともに生き、生き抜きかれた方。
辛いことが多かったんだろうと思う。
しかし、いつも、私には笑ってくれた。
笑いすぎてむせこむほどに。

その晩年への敬意も最大級込めて、あえて、その神経難病を死因に据えた。

(おそらく、最期の1、2日は肺炎であったと思うのだが、僕はこの肺炎を原因ではなく結果として捉えたので、あえて直接死因としなかった)

 

あと一つ記しておきたい。
見事なことについて。

この神経難病は、いずれ経口摂取は不能となり、肺炎を繰り返すのがほぼ常である。
しかし、この方は、本当にギリギリまで口から食べ、肺炎もほぼなかった。
誤解を恐れずいえば、見事な着陸。
そして、この見事な着陸を応援し、見届けた家族もまた見事だった。簡単ではなかったず。

人の死に対し「見事」を使うのは失礼であるとお叱りを受けそうだが、それでも僕には見事だったとしか表現ができない。

 

見事だった。
故人と、ご家族に深く、深く敬意を表したい。

 

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何処で、誰と(に)。

(備忘録)

忘れられない死もあれば、忘れない死もある。
今回は、そのいずれでもなく、絶対に忘れてはいけない死だ。

臨終の際、開口一番、ご家族に向けて伝えたのが、「本当に悔しいです」だった。

このままでは死んでしまうと、決死の覚悟で別の施設に移った。誰もが「もう限界」と言われる中で、ご家族だけが改善を信じていたから。

闘いが始まる。
改善した。
ほぼ食べられない状態が、経口だけでなんとか生命を維持できるほどに食べられるようになった。

奇跡ではない。
奇跡は勝手に起きるものではなく、起こすものだ。
必然だと僕は思った。

しかし、もっとも恐れていたことがおこる。
そして、もっとも注意していたことだった。

肺炎である。
万事休すだった。

人は死ぬ。100%死ぬ。
不確実性が強い医療(医学)において、唯一100%の確率を誇ることが「人の死」だ。

今回の方、施設をうつらずにいれば、遠くないうちにお迎えがきていただろう。
施設を移った。仮に肺炎を起こさずとも、やはりどこかでお迎えがくる。

結果は同じかもしれないが、送り出す方には送り出し方があるし、送り出される方(本人)には送り出され方がある。
死に方という表現は良くない、生き方、逝き方があるのだと思う。
だからか、これで良かったのだと周りは言うが、それでも、医師として改善のみをひたすら狙う立場としては、どうしても悔しい死だった。

臨終の確認の後、ご家族がかけてくれた言葉に目が涙で満たされた。

「昨年の秋からずっと先生に診てもらいたいと思っていました。いろいろな壁があり、なかなかその想いが叶いませんでした。ただ、このまま死なせてはいけないと強く思い、やっとのおもいで施設を移って、待望の先生に診てもらえました。先生、母もやりきったのだと思います」

何処で、誰と、晩年を過ごすか。
何処で、誰に、看取ってもらうか。

いずれも大事なことに違いない。
どちらが欠けても十分ではないのだろう。

最後の主治医に指名されたことを誇りにし、ご家族の言葉を胸に強く刻み、この死を絶対に忘れないことにします。

 

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医師にとって死は敗北か?

続けて、お二人の患者さんを見送りました。

 

「人は生きてきたように死んでゆく」とは時折耳にする言葉ですが、今回は本当にそう思いました。

 

人格者が、人格者として最晩年を過ごされました。

 

 

毎回、思います。

人生の最晩年に同伴できる尊さを。

そして、人生最後の主治医として指名された光栄さを。

 

 

医師にとって、「死は敗北」と言われることもあります。

私も医師ですから、「死」を避けるべく最善を尽くしていますが、だからといって「敗北」ではないと思います。

 

 

人間にとって死は必然です。

であるならば、私たちは、死について、最晩年の過ごし方について、もっともっと議論を深める価値があると思います。

 

患者さんの最晩年に同伴し、臨終に立ち会えることを、私は本当に光栄に感じています。

 

 

(写真は早池峰山山頂から空を仰ぐ)

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