イベント化された死

私が独立することを強く確信せしめた出来事。
この出来事は、私に多くの示唆を与えてくれました。

2014年頃のことです。

死とは誰のものか?
死ぬとはどういうことか?
人は一人で死ねるのか?

死とは所有物ではないという考えもありますが、私は死とは関係者による共有財産であるという認識です。

そして、人は一人で死ねない。
周囲と、地域とつながりを持ち続けながら生ききる必要がある。

と、こんなことを考えながら、今の形にたどり着きました。
もちろん、いまだ発展途上です。

最近またイベント化された死に遭遇しました。
誰にも悪意はない。
けど。。。

人は必ず死にます。
いかに死ぬか、いや生ききるか。

久々の遭遇で、久々に原点に帰った気持ちです。

(写真はかつて遭遇した時期あたりのもの)

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ことのはグループへようこそ

ことのはグループの配布用文章の挨拶文です。

———

ことのはグループへようこそ

 

 ことのはグループは、7つの事業を展開する企業体です。

 医療を筆頭に、介護と福祉、住まい、食と農業を展開しています。すべての事業が密接に連携しつつ、「目の前の人に最善を尽くす」という理念を胸に、ビジョンである「こころのバリアフリー」の実現に向けて、グループ一丸となって日々前進しています。

 私たちの挑戦は、2015年4月、一軒家を借りて開設した小さな診療所から始まりました。その後、たくさんの方々と出会ってまいりました。孤独に悩んでいらっしゃる方とも多く出会いました。目の前の方のお困りごとを受け止め、その方に幸せになってもらいたいと頭を悩ませてきました。もしその方が幸福になるための適当なサービスが社会にないのであれば自分たちで創業するしかない、この気持で突っ走り、必要なサービスを一つずつ追加する形で事業を広げてきました。事業ありきではなく、まず人です。

 一つの忘れられない言葉をご紹介いたします。

「もっと早く出会いたかった」

 末期がんで余命幾ばくかの女性の言葉です。私たちの力を必要としている方の存在を喜ぶ一方で、早く出会うことができなかった切なさが交錯しました。私たちにもっと実力があったら、私たちがもっと知られていたら、この女性ともっと早く出会えて、もっと早く支えて差し上げることができたのではないかと、ひたすら後悔が残りました。

 私たちは小さなグループに過ぎません。そんな私たちに何ができるのか、私たちは何を為すべきなのか、いつも自問自答しています。そして私たちの力を必要とする目の前の人にとって最善とは何か、いつも自問自答しています。出会う全ての方々、そしてそのご家族にやさしさに満ち溢れた最善を届けるため、これからも自問自答を続けたいと思います。

 ことのはグループは、地域で困っている全ての方のお役に立てるよう常に準備を整えています。何かお力になれることがございましたら、どうぞお気軽にお知らせください。あらゆることに全力で向き合い、最善をお届けすることをお約束いたします。

平成31年1月1日

ことのはグループ

代表 松嶋 大

ドクターショッピングから思うこと

私は総合医。

 

総合医という私は、なんでも治せる医者ではなく、なんでも見ようとする医者。

どうしても治せないときはしっかりと専門家に紹介する医者。

 

私が担当する患者さんの多くは、大概、私が唯一のかかりつけ医である。

何かあれば、何でもまずは私に相談していただく。

「これって先生の専門かな?」という躊躇をされることなく何でもどうぞと。

結果、どうみても医療とは程遠いことまで相談されるようになっている。

しかし、これがとても心地よい。

 

さて本題。

「どこでも良くならないのです」という方がご来院。

宣伝も、看板すらもろくに出していないうちの診療所をよく探し当ててくださったと、まずは感謝申し上げる。(毎度の儀式)

そして、どこを良くしたいのか、その語りを聞く。

並行して、お薬手帳もお借りしてよく見る。

お薬手帳を眺めていていつも気づくのは、たいてい、とってもたくさんの医療機関にかかっていること。しかも細切れに。一回のみだったり、数回通って行かなくなったり。

なるほど、それだけ辛かったのですね、と思う。

医療界では、こういう方をドクターショッピングと呼ぶ。

(医療者側にとってはネガティブな響きかもしれない)

 

僕の前には、ドクターショッピングな方が大勢やってくる。

僕はレッテルを貼ることはないが、僕の柄に合わず、ぼちぼち辛辣な助言を伝えることが多い。

藁にもすがる思いで来院された方には相当しんどいとは思う。

 

ただ、ドクターショッピングをされる患者さんには、もう一歩、医療者側に踏み出していただきたい。もちろん、ドクターショッピングをされる側の医者(医療者)も、もう一歩患者さん側に踏み出したい。

 

お互い一歩ずつ歩み寄り、手の届く距離であらためて語り合い、互いにとってのハッピーな結末を願い合いたい。

患者と医者は一心同体なはずだ。

 

患者さんには厳しいことが多々あることをしっかり受け止めた上で、より良くなることを願って、時には誤解を恐れず助言し続けたい。

すべては患者さんに最善を届けるため。

 

あらためて思う、休日の朝です。

 

(写真は診察室の私の椅子。宝物。)

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胃ろうとともに過ごす晩年

昨日のとびっきりに嬉しい出来事。

 

訪問診療にお伺いすると、お食事中ながら、最高の笑顔で出迎えてくださいました。

しかも、お箸を上手にお使いじゃないですか!

 

さて、この方、先日、胃ろう造設された方。

パーキンソン病が重度で、かつて複数回にわたり、食べられなくなったり、死の本当に一歩手前までいかれた方。

都度、ギリギリで復活しましたが、次は危ないかもと先手必勝で胃ろうを作っておくことに。

 

今後、何かあればお世話になるとは思いますが、今のところは使わずにすんでいます。

仮に胃ろうを使うようになっても、お口とうまく併用して。

 

きっと、将来的にこの胃ろうを上手に活用して、悪くない晩年を過ごされることと思いますね。

 

 

ところで、こういう胃ろうの使い方もあるのですね、と驚かれることもしばしばですが、きっとこういう使い方が胃ろうはメインなのかもしれませんよ。

 

 

胃ろう造設をご決断くださったご家族に感謝です。

 

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殺してくれ

(備忘録)

「殺してくれ」

あまりに物騒な言葉である。

が、医療現場で実際に聞く患者さんの叫びだ。

私(医師)に直接言われることもあれば、家族にのみ言うこともある。

終末期医療に深くたずさわっている私も、稀ならず時折言われる。

何より切ないのは、「懇願」されることだ。

懇願されることほど切ないことはない。

殺してほしいほどに辛いあなたへ、医師として、人間として何もして差し上げられないこと
に、最高の無力感を覚える。情けない医師であり、人間だ。

私に何ができるのだろうか。

そばにいて、ただ黙るのみである。

私たちは、死ぬまで生きるしかない。

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企業の存在価値

企業の存在価値はどこにあるのだろうか。

 

ミッションを実践しビジョンを達成することである、と私は捉えている。

 

この価値実現のベースには二つが欠かせない。

 

まず、スタッフの幸福の追求。
そして、地域貢献。

 

スタッフが心から幸せではないと、顧客に幸福なんて届けられるわけがない。だからこそ、まずスタッフ。さらにはスタッフの家族、スタッフが住む地域まで広げて、まるごとスタッフと捉える必要もある。

 

そして地域。
企業が地域経済を動かしているのではなく、企業は地域経済の一員(歯車)である。なるべく、地元で雇用し、地元のものを使い、地元で消費する。その企業が対象とする地域で、人やお金が流通する仕組みに貢献する。
(地元の解釈は様々でよいとおもう。世界の中で競っている企業であれば、世界全体が地元といえるから、人材も世界各地から雇用してももちろんよいだろうし。)

 

スタッフが組織のために働く。
企業が地域経済を動かす。

 

この二つを主客転倒し、「組織がスタッフ(個人)のために働く」「地域経済が企業を動かす」と解釈しなおせば、見えてくる世界が随分変わることを最近確信した。

 

私のミッションは、目の前の人に最善を尽くすこと。
言い換えると、目の前の方に幸福を届けること。
目の前の方の幸福を願うとき、当然、スタッフも地域も幸福である必要があると思う。

 

 

上記はどこでも言われていることでしょうけど、実践できている企業は数少ないと思います。

 

(写真はオークの部屋からみた岩手山。屋外から見る岩手山、窓枠からのぞく岩手山。どちらも岩手山だが、まるで趣が変わってくるのが実に面白い)

 

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美しい老衰

(備忘録)

お看取りした患者さんの死について、良いとか、悪いとか、穏やかだとか何だとか評価しないようにしています。

 

しかし、今回は、どうしても美しく見えたので、ついついご家族には「美しい老衰だったと思います」とお伝えしてしまいました。

 

美しい老衰。

時折見せる笑顔、言葉はいずれも天使級で、とにかく美しかった。

おやつを分けてくださるなど配慮がまた美しかった。

「ありがとうね」といつもいたわってくださる言葉もまた美しかった。

そして、その姿が美しかった。

もっとも忘れてはいけないと思ったのは家族の献身さ。とっても美しかった。

 

美しい老衰。

評価しないというマイルールを破ってまでも口にしたいと思った言葉。

 

素晴らしいご縁でした。